優しく教えてくれた年下の子たちと、ゲームが分からないASD+知的遅延のヨチ妹。誰も悪くないのに胸がざわついた日

日々の記録

🧒✨ 1学年下の子たちと遊んだ日。そこにあった優しさと、胸のざわつき

最近、ヨチ妹が1学年下の3歳の子どもたちと遊ぶ機会がありました。 その子たちはとても仲が良くて、そして驚くほどスマホゲームを使いこなしていました。

画面をスイスイ操作してキャラクターを動かす姿は、 まるで大人のようで、私は「すごいなぁ」と感心してしまいました。

ヨチ妹も気になったようで、そっと近づいていきました。

📱 優しい子が教えてくれた。でも、理解が追いつかなかった

近づいていったヨチ妹に、 一人の子がとても優しくスマホの使い方を教えてくれました。

「ここをこうやって」 「こうやって動かすんよ」

その子は本当に親切で、 ヨチ妹に合わせてゆっくり説明してくれていました。

でも、ヨチ妹にはその操作がまったく理解できませんでした。 画面の動きも、指の使い方も、何をしているのかも、 きっと全部が“初めての世界”だったんだと思います。

スマホを貸してくれても、 ヨチ妹はその子と画面をただ見つめるだけで、 少し触ってみるものの、どう遊べばいいのかはわからないまま。

その様子を見て、 教えてくれていた子もだんだん手ごたえを感じなくなったようで、

「この子、教えてもわからないし、ほっとこ」

そんな流れになり、 二人はまた元のように仲良く遊び始めました。

誰も悪くない。 ただ、ヨチ妹がついていけなかっただけ。

そしてヨチ妹は、 二人が楽しそうに遊ぶ姿を、 ちょっと不思議そうに、でもにこにこしながら近くで見ていました。

その光景が、胸にじんわりと刺さりました。

🌱 優しさがあったからこそ、切なくなる瞬間

あの子たちは本当に優しかった。 ヨチ妹を拒否したわけでも、意地悪したわけでもない。

むしろ、 「教えてあげよう」 「一緒に遊ぼう」 という気持ちがちゃんとあった。

だからこそ、 “優しさの中で置いていかれる” という現実が、余計に切なく感じてしまいました。

ヨチ妹は、 「わからない」 「できない」 という状況をまだ深く理解していないかもしれない。

でも、私は思ってしまったのです。

💭 これから、何度こういう場面に出会うんだろう

今回のように、

  • 相手は優しい
  • 誰も悪くない
  • でも、ヨチ妹だけがついていけない

そんな場面が、これから何度も訪れるのかもしれません。

そう思うと、 胸の奥がぎゅっと締めつけられるような気持ちになりました。

「できないことがある」 「理解が追いつかない」 それ自体が悲しいのではなくて、

“優しさの輪の中に入りたいのに、入れない瞬間がある” その現実が、親としてはどうしようもなく切ない。

🌈 それでも、今日の出来事は前に進む一歩だった

でも、ふと思うのです。

ヨチ妹は、 “わからない世界に近づいてみた” “人と関わろうとした” その一歩をちゃんと踏み出していました。

そして、 相手の子たちも“教えようとしてくれた”。

結果としてついていけなかったとしても、 そこには確かに 関わろうとする気持ち がありました。

それは、 これからのヨチ妹にとって、 とても大事な経験のひとつなんだと思います。

知的な遅れと発達の特性があるヨチ妹には、 これからもきっと、今日のような小さな試練がいくつも訪れるのだと思います。

そのたびに胸が痛むこともあるけれど、 どこかにヨチ妹なりの“糸口”のようなものが見つかっていけばいいなと、そっと願っています。

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