🌱 レジリエンスって、強さじゃなくて「揺れながら戻ってくる力」らしい
レジリエンスという言葉を聞くと、「折れない心」「強い人」というイメージが浮かびます。
でも、現時点、まだひよっこ母の私が育児を通して感じてきたレジリエンスは、そんな立派なものではありません。
しんどい時はしんどいし、泣きたい時は泣く。 それでも、少しずつ自分のペースで戻ってくる力。 揺れながらも、また前に進んでいく力。
今日は、ヨチ妹のレジリエンスについて書いてみようと思います。
🌸 ヨチ妹のレジリエンス ― 自分の気持ちを守る力が育ってきた
最近、ヨチ妹の中で大きな変化がありました。
数か月前までのヨチ妹は、私が笑えば一緒に笑っていました。 相手の感情と自分の感情の境界がまだ曖昧で、 その場の空気に自然に溶け込んでいたのだと思います。
でもどうやら最近、ヨチ妹は「笑われた」と感じるようになってきました。
🍼 おむつ替えのときに起きたこと
おむつ替えを嫌がって大騒ぎしたときのこと。 どうしても嫌だったようで、ヨチ妹は突然、
「うるさい!しずかにしなさい!みんな!しずかにしなさい!」
と怒り出しました。
実際には誰もしゃべっていません。 一番大きな声を出していたのは、ヨチ妹自身でした。
「今は誰もうるさくないよ」と私が伝えると、
「ちがうでしょ!うるさい!」
と腕を振り回し、さらに大きな声で怒鳴りました。
💧 その必死さが、愛しくて、苦しくて
その必死さが、あまりにも愛しくて。 本当はいけないとわかっていたのに、私は思わず笑ってしまいました。
その瞬間、ヨチ妹の顔が変わりました。
「わらうじゃない!ちがうでしょ!わらうじゃないでしょ!ちがーう!」
あのときのヨチ妹は、ただ怒っていたのではなく、 「私のしんどさを、笑いごとにしないで」と全力で訴えていたのだと思います。
今振り返ると、あの「うるさい」は、 外の音ではなく、ヨチ妹の中の混乱や不快感に向けられた言葉だったのかもしれません。
おむつを替えたくない気持ちと、時間的にどうしても替えなければいけない現実。 その板挟みの中で、ヨチ妹の頭の中はきっとガンガン鳴っていたのでしょう。
あれは、癇癪ではなく、もしかすると 自分の気持ちを守ろうとする、ヨチ妹なりのレジリエンスだったのかもしれません。
🌼 成長の喜びと、親としての怖さ
その姿を見て、私は二つの気持ちが同時に湧きました。
ひとつは、感情が育っていることへのうれしさ。 “ママは笑っているけれど、私は笑いたくない”と 自分の気持ちをはっきり区別できるようになったこと。
もうひとつは、怖さ。 これから先、ヨチ妹が傷つく場面が増えるかもしれない。 私の軽率な反応が、ヨチ妹の心を痛めてしまうかもしれない。
🌱 ゆっくりだけど、確かに育っている力
ヨチ妹にとって、レジリエンスはもしかしたら一番大事な力になるのかもしれません。
周りよりもゆっくりで、慎重で、 これから先「追いつけない」「置いていかれる」と感じる場面が増えてくるかもしれない。
正直、母としてはそんな現実に気づかないまま にこにこのびのび育ってくれたらいいのに、なんて思うこともあります。
でも今のヨチ妹は、まだ劣等感を抱えているようには見えません。 自分のペースで世界を理解し、 自分のペースで動き、 しんどい気持ちを引きずらずに切り替えられる。
その姿は、ゆっくりだけど確かに前へ進んでいて、 “自分の世界を守る力”というレジリエンスが 少しずつ育っているように感じます。
だからこそ、 ヨチ妹のレジリエンスの芽を摘まないように、 私はもっと知り、もっと学び続けなければいけないと感じました。
🌷 親としてのレジリエンスとは何か
親としてのレジリエンスとは、 強くいることでも、正しく対応し続けることでもないのだと思います。
- 子どもの変化に戸惑うこと
- 自分の反応に後悔すること
- どう向き合えばいいか迷うこと
そういう“揺れ”を抱えながらも、 それでも子どもと向き合い続けようとする姿勢。
それこそが、親としてのレジリエンス。
子どもが育つように、親も育っていく。 正解なんてわからないから、 ただ自分が信じた道を進むしかない。
ヨチ妹の「ちがうでしょ!」という叫びは、 彼女のレジリエンスの芽であり、 私自身のレジリエンスを育ててくれた出来事でした。


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